人離れの抑止③ giveの風土

自分が実際に職場を辞めることになって開眼したことがあるのでまとめる。

 

■ 要約

・全てのものに拘束力などない

・組織が個人に尽くす義理などないし、

    個人が組織に尽くす義理などないし、

    個人が個人に尽くす義理もない

・拘束力のないことをやってくれているのは、

    突き詰めれば、ただの個人の感情。偶然。

・それを当たり前(当然、必然)と思わず、

    してくれている、付き合ってくれている、

    と思えば感謝の念がわく

・ 感謝の念は無意識なgiveを生んで伝搬し、

     拘束力のないもの同士の接着力を高める

・ giveの風土を作れれば人離れは減る

 

■ 感謝の念

自分は感謝がものっすごく苦手。

自己啓発本にこの類のことが書かれていると虫唾が湧いていた。

私は、ある共通の目標があるとき、

各々にはそれぞれの役割があって、

その役割を最低限果たすこと、それに向かって努力するのは当然のことと考えるタイプ。

チームの問題に対してある個人が手を抜けば、

全員に迷惑をかけ、人様に迷惑をかけることになるから。

わがままは、人に迷惑をかけない範囲で行うのが当然と考えているので、

人に迷惑をかけているのに(遅刻とか)反省しない人に対して私は批判的。

当然、感謝の心は持ちにくい人間だった。

 

■ 辞める前

まさにこの状態だった。

なぜ世の中の組織はこうしているのにこうしないのか、

なぜ結果が出ていないのに改善しようとしないのか、

一個人はともかくとして、少なくとも管理職がそこに努めることは当然の責務ではないのか、

このままここにいたら共死にするのではないか、

など、多少盛ってはいるが、とにかく批判的な感情が蓄積していた。

 

最終的に、他人は変えられない、という想いから、

自分自身が環境を変えることにした。

 

■ 辞めることを伝えたとき

結果として、辞める=人に迷惑をかける決断をした、

ということで、私は批判を受ける覚悟をした。

無責任、甘い、我慢が足りない、恩知らず、

何を言われてもその通りで仕方ないと思った。

 

だが、実際のところ、

多くの人が表向きには優しい言葉をかけてくれた。

残念だがこれまで力を貸してくれてありがとう、という形で。

 

本心では「このクソ」と思われているかもしれないが、

それでもその言葉に対し、私自身も感謝の気持ちが途端に溢れて、

「たくさんのことを教えて頂きありがとうございました」、

「恩を裏切って申し訳ない」、

という感情が本心から溢れた。

 

このとき、私はいくつかのことを学んだ。

 

■ ① この世に義理などあって無いようなもの

世の中には「やって当然」と言われることがいくつかある。

給料を貰っているのだから働いて当然、

先輩なのだから敬って当然、

恩があるのだから返して当然、

契約を結んだのだから守って当然…。

 

たしかに限りなく当然かもしれないが、

ぶっちゃけ、この「当然」を無碍にすることなどいくらでもできる。

 

「そんなこと言うんだったら辞めます」、

「はいパワハラですね。訴えます」

「君明日から来なくていいから」

「好きな人できたんで離婚しましょう」

 

契約や拘束力などこの世にはあってない。

その気になればどんなことでも丸ごと引っくり返せてしまう。

 

つまり、あくまで人は自分の意志でその契約を守っている。

人がひとたび感情を損ねたら、契約を放棄するかもしれないし、

その選択肢など世の中にはいくらでもある。

 

ある人がある人に尽くす理由なんて突き詰めれば何もない。

何かをお願いしたからといって、その人が私のためにそれを果たす理由など何もない。

 

前述の、チームで何かをしているとして、

個人がチームのために尽くす理由なんて実は何もないんだということ。

 

人それぞれそこにいる目的は違って、

その人にとっての正義は違う。

 

他人が自分の期待通りに動いてくれたとしたら、

それはたまたまだし、動く理由など一つもない。

 

人様がてめえごときの望みを聞く理由など、

1つもないんだということ。

 

■ ② 義理などないのに付き合ってくれている

組織に迷惑をかけた人間に、

優しい言葉をかける義理などない。

 

だから批判されて当然なのに、

それでも感謝してくれる人がいる。

 

これは義理を超えた行動であり、

「ありがたい」以外の何物でもないこと。

 

批判されて当然なのに批判しないでくれる、

困っていても助ける必要などないのに助けてくれている、

他にもっと良い職場があるだろうにここに居てくれている、

他にもっと良い人がいるだろうに自分と付き合ってくれている、

 

理由などないのにやってくれているのだ、

と気付けば感謝しかない。

 

感謝できないというのは、

自己肯定感が高すぎるということ。

 

世の中には何か正解があって、

それをすることが当然だと確信しているということ。

 

法律だろうが守らないと決めれば守る必要はない。

ルールがそこにあるだけで、守るかどうか決めるのはその人。

 

人はコントロールできない。

守らない人を批判するのではなく、

守っている人への感謝に目を向ける。

 

人を統べる立場になって初めてそれに気付く。

 

 

 

感謝できない人は、または、自立心が低いのかもしれない。

困ってるんだから助けてくれて当然でしょ!みたいな。

私含め、今の若者はこっちの要素もあるかもしれない。

 

ただこれを「甘い」と突き放しても仕方ないので、

やはり「それが当然ではない」「感謝すべきこと」なんだよ、

と悟らせる誘導が必要なのだと思う。

 

 

■ ③ giveの風土

また組織批判になってしまうが、

辞めた職場は人間関係が希薄であったような気がする。

「やって当然」という風潮があったように思う。

 

それは忙しさから来るものであったかもしれない。

自分もこれだけ忙しく働いているんだから、

それくらいやって当然だろう、とみんなが思っていた気がする。

 

辞めると伝え、お互いにありがとうと言い合ったとき、

たくさんの感謝と後悔と迷いの念を生じた。

もしこうした風土が最初からあったとしたら、

もしかしたら私はここを辞めてなかったかもしれないと思った。

 

拘束力のあるところから人が離れる理由が感情だとすれば、

拘束力のないところに人を留まらせるのも、

また感情なのだと気付いた。

 

巷では、リテンションには、

正当な評価やら報酬やら将来性やらという話もあるが、

原理原則は「感謝し合う風土」なのではと思った。

 

ありがとうありがとうと言ってくれる人・組織から、

喜んで離れたいと思う人などいるだろうか?

 

 

■ ④ giveはgiveを生む

もう一つの発見は、人は感謝を与えられると、

感謝の念が無かった人にも感謝の念が湧くようになるということだ。

 

まさに私がそうだったのだから、これはそう。

こんな経験をするとは思ってもみなかった。

よく感謝は伝搬するというが、その通りだと思った。

 

感謝に見返りを求めると感謝できなくなるが、

前述のように当たり前のように感謝できれば、

確実に感謝は少しでもどこかで伝搬していく。

 

そうすると、伝搬が伝搬を呼び、風土が良くなる。

やはり管理職が率先してやるべきではないだろうか。

月に一度感謝しあおうの会みたいなのでも十分かもしれない。

感謝し合う職場に利はあっても損はないのだから。

 

よく職場の人間関係は上司の人格が決定づけるという。

その通りだと思った。

 

上司の人柄がこういう人であれば、

そこから自然と感謝は伝搬すると思う。

 

上司が傲慢で、結果主義で。

こういう人はさらに上の上司から見れば頼もしいソルジャーであるかもしれないが、

末端の風土が枯れてしまう。

 

そこら中で人材が定着しなくなった今、

もう一度見直していくべき概念なのではと感じた。